店名のお話し
店名は旧町名より命名いたしました。
「岐阜市史」抜粋 (現在の岐阜市大和町)
織田信長に による岐阜町建設の時に成立し、当時は東鋤横丁(ひがしけぬきよこちょう)と言われ、けぬき(キリ)をつくる職人・坪内弥右衛門が居住していたことが町名の由来とされている。(旧岐阜市史)
岐阜町四十四町の一つで、承応期の絵図に「ケヌキヤヨコ丁」、寛政六年(1794)の町絵図にも、「東けぬき町」と記されている。
「美濃国岐阜図」 聖心女子大学図書館デジタルギャラリーより引用 「美濃国岐阜図」の部分です
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全国城下町絵図所蔵資料103枚の内の一つ 当店の位置は「東ケヌキヨコ丁」と記されています、役所の直前にあたっています 当図にはまだ「正法寺」大仏の表記はありません、下図の岐阜古図以前のものと推察されます。
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「岐阜古図」 西尾市岩瀬文庫古典籍書誌データーベースより引用(一部分)
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「岐阜城下周辺の略地図。右が南(仮)。町名、社寺名を注記する。彩色あり、町家は代赭色、道は黄色、川は水色。中山道上川手村辺より「御成道」の朱線あり。途中の荒田川に「荒田川常ニ橋ナシ御成之節船橋カヽル」と注記あり。 成立を示す奥書等なし。図中の「正法寺」に「大仏/五百ラカン」とあり、同寺の大仏は天保3年に完成、それ以後の成立。」
当図には町名は「毛抜横丁」と表示されています天保3年(1832)以後の作成とありますが役所は岐阜御殿と表記されています。 |