けぬきや建物のお話し

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 その9 建具 

麩兵旧店舗ではほぼ全て建築時に設置した建具を使用しています、建具職人の丁寧な仕事の結果長期にわたって利用できていると考えております。

日本家屋は生活の節目に畳表替えや襖の貼替を依頼し、又は家族総出で障子の貼替で気持ちの改まる良さがあります。

エアコンのない時代の暮らしは、夏は簀戸、冬は障子、襖に取替、涼風を入れ蚊帳でしのぎ、冬はもっぱら火鉢と湯たんぽで過ごすのが一般的でした。

夏の設え.png冬の設え.png

建具は130年近く経過していますが機能的には問題なく今後も大切に維持していきたいと思っています。

 

けぬきや亭では5月より9月まで夏の設えで101日に冬の設えに変更しお客様をお迎えしております。

 

 

その8 通り庇 多目的空間

麩兵旧店舗の向かって右側(西側)では表に面する通りに向かって庇が約1m伸びています。

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現在の一般的な建築設計では床面積を多く確保する為敷地面積を有効に使い出来得る限り境界まで利用しますがそれに反して麩兵旧店舗では前面軒下に誰もが通れる半公共的空間を設けています。

この軒下、表と内、公と私の中間的空間は実際にこの建物を使用しますと先人が床面積を割いてもこれを設けた趣旨が理解できます。

この多目的空間の利用法は、資材商品搬出入時の荷物仮置き場、商品の陳列、特に降雨時の来客等の便宜、町内会の掲示板的役割、町内の子供たちの縁台将棋等の恰好の遊び場、戦時下では町内会で飛行機献納のため物品販売がされ、悪天候時には車寄せ的利用等々です。

加えて軒が深いことより建物保護の効果があります。

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構造的には柱を設けず深い軒を支える為に二か所の跳ねだし梁が設置されていますが築130年を経過し機能的には何ら問題ありません、丁寧な職人の仕事が感じられる麩兵旧店舗です。

 

 

 

その7 大戸

 その2「通り土間」でお話ししました表土間(玄関部)には大戸と呼びます吊り上げ戸があります、天井部へ跳ね上げてから吊金具で固定します。

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吊り上げた状態で入口部は大きく開放状態になり資材商品の出入りが容易になります、閉店後は大戸を下ろし状況により障子又は板戸のくぐり戸から出入りします。

大戸障子.png大戸板戸.png

 

大戸以外の部分はガラス引き戸の内側になりますが蔀戸形式の折りたたみ吊り上げ式の雨戸(防犯戸)が設置されています、下部は差し込み形式の板戸になっています。

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全て下ろした状態では、いわゆる雨戸を閉じた状態ですので室内はかなり暗くなり照明器具が充実していない時代では作業が困難ですので業務は日の出から日没までの間に集中して行ったことでしょう。

 

 

 

その6  余談 岐阜町の井戸水

建物のお話しからは少しそれますが地下水(井戸水)のお話しをします。

麩兵旧店舗では創業時から現在のけぬきや亭まで全て井戸水を使用しています。

勿論現在は水質検査を実施し保健所指導のもと滅菌装置を設置していますがその水の旨さは製造品や料理に反映していると確信しています。

加えて水温を計ると120℃、715℃と冬暖かく夏冷たい水が汲みあがります、何故でしょう。

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2015岐阜大学の神谷教授の研究班が「長良川中流域における岐阜の地下水と生業空間」として麩兵旧店舗を含む岐阜町の20か所近くの井戸の調査を実施しそのメカニズムを解明していただきました。

調査結果報告の概要は岐阜町の井水は長良川扇状地に位置することより長良川河川水が地域北東部より流入した伏流水で流入時の気温が反映された地下水がその温度を保ちながら約半年かけてエリア中央へ到達するため気温と地下水の季節逆転が観察されると結論されました。

麩兵旧店舗は正にエリア中央に位置し季節逆転の恩恵を最大に受け夏清涼な水で冷やす、冬暖かい水を有効に使用できうる環境にあります。

 過去から現在にいたって長良川がもたらすこの恵まれた環境資源を利用できたことに感謝しつつ将来にわたってこの環境の維持に努めねばと考える次第です。

 

 

その5 格子

 麩兵旧店舗の特徴は前面外部のほぼ全てに設けられた格子でしょう。

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格子は岐阜市内の各所の建築に多く見られますが、採光 換気 防犯に有効で職種によりその形状は異なるようです。

各商店では従業員を含め多くの人が生活を共にしており冠婚葬祭も自宅商店で執り行うのが常で非日常の「ハレ」の日は建物を目的に合わせて設え対処していたのでしょう。

麩兵旧店舗も格子は全面取り外しが可能な構造になっています、現状の在来木造構造と違い伝統木造工法のため前面をはじめ壁の部分がほとんどありませんので格子を取り外しますと柱を残し全て開放状態になります。

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夕暮れの格子から漏れる灯り、夏の夜の涼風、蚊取り線香の揺らぐ煙を思うと昔の暮らしも風情があり懐かしく思われます。

 

 

その4   江戸後期と明治の建築文化の混在

 麩兵旧店舗を正面から見ますと右(西側)は二階が低く左(東側)は高くなっていますがこれは江戸後期と新時代明治の建築文化の違いと言えます。

 正面夜.png江戸時代は2階を居住にあまり使用せず物置程度が一般的だったようで防火の意味も含めこの西側のような外観が多くみられます。

 麩兵旧店舗は明治の中頃の建築であり東側は新しい建築様式を取り入れ二階も一階同様の天井高(2.35m)、床の高さも西側より20㎝高く新時代で快適でかつ機能性を追求したのではと推察されます。

 西側は店舗部分、東側は住居部分になり建築は営業上店舗部を急ぎ旧来の仕様を踏襲し完成させ、その後東側住居部を完成させたと考えられます。

  

 

その3 岐阜重要文化的景観 

長良橋から伊奈波神社にかけてのいわゆる旧岐阜町の地域が文化庁より「長良川中流域における岐阜の文化的景観」として平成26年選定されました。

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「重要文化的景観」とは:文化財保護法で (地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの)と定義され価値を評価し地域で護り次世代へと継承していくと示されています。  

長良川中流域における岐阜の文化的景観の紹介 文化庁資料の一部抜粋 

美濃山地の南端、濃尾平野の北端の長良川中流域では古くから鵜飼が行われ、長良川堤外地には鵜飼屋地区の鵜匠宅を含む集落及び水運によって発展した問屋業による河原町地区の伝統的町並みが文化的景観を形成している。 

また、長良川と金華山に挟まれた扇状地では、中世末から近世に織田信長等によって総構を持つ岐阜城及び城下町が形成され、武家地・寺社地・町人地が形成された。 

落城後も長良川を介した物資集散地としての地の利を生かし、材木・和紙・糸等を扱う問屋業、提灯・団扇・傘等の手工業を中心とする商業に依拠した岐阜町が発展した。 

城下町に由来する総構の土塁、水路、街路、町割り等の基本的な構造は現在の土地利用にも踏襲されており、城下町由来の構造の中に残る町家等とともに文化的景観を呈している。 

麩兵旧店舗 

上記の岐阜重要文化的景観の重要構成要素として平成26年文化庁長官に選定されました。 

けぬきや亭では文化財保護法を遵守し建物保存・活用し次世代へ継承することに努めて参ります。

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その2 通り土間

 町屋(町家)建築の特徴は第一に「通り土間」と呼ぶ玄関から建物奥まで通じる土間です。

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主目的は資材商品の搬出入で玄関部は表土間として接客商談スペース、それより奥の部分は一般的に作業スペースや炊事場になります。

 

京都で見られるように隣家と接する都市型の町屋建築では土間部分の採光換気は屋根部分に限られ天井を張ることなく小屋組みを見せたまま屋根部分に天窓と換気孔を設けています。

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麩兵旧店舗は通り土間に麩製造部、建物を通り抜けた奥にかまどを設けた炊事場がありました。

表土間(玄関部)は機能上天井が張ってありこれは江戸後期の一般的な仕様と考えられますが天井板は二階の床板にもなり二階は天井高も低く物置や時には従業員部屋となっていました。

 

現在麩兵旧店舗では通り土間を厨房として吹抜部には衛生上アクリル板で天井を設置していますが町屋建築の基本的な機能は皆様を「けぬきや亭」へお迎えしお料理を提供することに生かされています。

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その1 濃尾大震災

 けぬきや亭の建物は明治中期に建築された店舗住居併用の町屋建築(以降「麩兵旧店舗」といいます)です。

  麩兵旧店舗は明治25年、江戸後期の建築手法に明治新時代の考え方を盛り込んだ建築で当時の職人さんの技の成果が随所にあり見どころが多くあります。

 その一つ一つを回を追ってご紹介していきます。

2[1].jpg震災後焼失した金華地区 

岐阜市伊奈波神社より西を望む(岐阜市歴史博物館蔵)

  明治24(1891)10月本巣郡西根尾村を震源としマグニチュード8の濃尾地震が発生しこれにより伊奈波神社界隈は壊滅的に破壊焼失しました。

  記録によりますと翌年明治25年麩兵旧店舗は建築されましたが当然建築ラッシュで資材と職人さん手配は困難であったことでしょう。

  焼失前の店舗(江戸後期)の資料はありませんがおそらくその多くを踏襲しつつ新機能を加えた設計であろうと推察されます。

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